父の墓石について

2年前に父が突然亡くなりました。
突然の知らせに驚き、悲しみにくれました。
しかし、悲しみにくれてばかりはいられませんでした。
というのも、本当に突然でしたので、父の周りには動いている物事が多々あり、それらを整理し、決着をつける必要があったからです。
特にややこしい物事や、残された私たちの負担になるようなことは全くなくて、私たちのために父が色々なことを進めてくれていたことを知り感謝しました。
ただ、その中で一つ、心の重いミッションが残されていました。
墓石の建設です。
といっても、もちろん、父が自身のために進めていたわけではありません。
単に古くなった我が家のお墓を建て替えるつもりでいたようです。
当然、ゆくゆくはこの墓に入るというつもりで話を進めていたものとは思いますが、まさか墓が経て替わると同時に自分がそこに入るとは夢にも思っていなかったことと思います。
父の死を知った石材屋さんも随分驚かされていました。
引き継いだ作業と言うのは、それぼど大変なものではなく、墓石の側面に刻印される先祖の名前の確認程度でした。
墓を建てた際、その人が生きている場合は赤字で刻印する習慣がありますので、石材屋さんから提出された刻印の原稿には、赤字で刻印される予定であった父の名も記されておりました。
結局、父はお寺さんから立派な戒名をもらい、それがお墓に黒字で刻み込まれました。
うちは先祖代々からの地元の人間ですので、墓を守るという考えが強い家です。
私も小さいころからよく意味も分からず、墓参りに付き合わされたものです。
その何とも思わなかったお墓ですが、そこに父が入ったということにより、最近はこれまでとは全く違う存在に感じられます。
よく耳にする、墓を守るという言葉もイマイチ、ピンと来ていなかったのですが、徐々にその意味するところというか、イメージが湧くようになってきました。
実際の墓の建立の際には、お寺のお坊さんにより、建て替えのための「開眼式」と父の納骨のための「新仏式」を合わせて、行うこととしました。
自分は納骨という作業を初めて見ましたので、墓の正面が開いて、そこに骨がおさめられているというのを初めて知りました。
正面が開けられ、父の骨が納められたとき、父があの世へ旅立ったことを実感しました。
霊園での火葬の際にも感じましたが、墓への納骨のほうが、より強くそういったことを感じました。このような儀式は残された人間が故人に対する踏ん切りをつけるのに良いことだと思いました。
その仕組みを知ったことにより、お墓の前に立った時、以前よりも、ピリッと緊張し、その反面、安心するような気分になります。
これからお墓のことをもっともっと勉強していきたいと思っています。

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